大町教会の歴史

 大町教会はプロテスタントの流れをくむ、日本基督教団に属する教会です。
 大町教会の伝道の開始は1888年に宣教師のC.K.ハリントンと藤沼良顕、原口精一らによって大町の地にイエス・キリストの福音が宣べ伝えられたことに始まりました。その後、1911年に横浜浸礼教会を母教会として大町浸礼教会が設立され、これが後に大町教会となり、さらに教団に残ったバプテスト派で組織された教団新生会に属するようになり日本基督教団大町教会として現在に至ります。
 また、大町教会は大町の地での福音宣教の一環として1934年に大町教会を母体として宗教法人大町幼稚園を設立し、この地におけるキリスト教保育を始めました。後に、大町幼稚園、小諸幼稚園、松代幼稚園、飯田入舟認定子ども園・保育園の5つの信州のキリスト教幼稚園・保育園を運営する公益学校法人で学校法人信濃キリスト教学園が1995年に設立され、そこに属することによって学校法人大町幼稚園となり現在に至っています。
 大町教会は2000年より阿部雄次牧師、下田尾治郎牧師、関英晴牧師が歴代牧師として歴任し、2012年に一年間の無牧の時を経て、2013年4月より玉田真牧師を招聘して新たな歩みを始めました。

history1.gif昭和6年(1931) 大町銀行から購入し、屋上に十字架塔や庭に案内板を作って完成した九日町時代の教会堂
history2.gif昭和9年(1934) 造り酒屋市野屋から借家していた教会の隣りに南部洋服店も移り、看板が揃って新調された。この年に九日町教会敷地が大町銀行より購入された。

牧師紹介 玉田 真(たまだ まこと)

 1962年 兵庫県芦屋市において盲人牧師の父玉田敬次と母恵美子の長男として生まれ、
       父が牧会していた芦屋三条教会で教会生活を送る。
 1982年 20歳のクリスマスに芦屋三条教会で玉田敬次牧師より受洗
 1985年 大阪の近畿大学を卒業と同時に、父からの牧師になる勧めを断り、
       東京の広告会社ビデオプロモーションに入社。そこで14年半勤める。
 2000年 1999年に牧師への召命が示され、日本聖書神学校に入学。ついに神に捕えられ、
       あれほど避け続けていた牧師への道に進む決意が与えられる。
 2004年 この年の3月に日本聖書神学校を卒業し、日本基督教団の補教師試験に合格。
       4月より最初の任地である東海教区山梨分区の谷村教会に主任担任教師として赴任する。
       5月に行われた東海教区総会にて准允を 受けて補教師となる。
 2006年 秋の日本基督教団正教師試験に合格し、
       12月に行われた東海教区臨時総会にて按手礼を授けられ日本基督教団の正教師となる。
 2013年 4月に9年間牧会した谷村教会を辞任し、同じ東海教区南信分区の大町教会に赴任。現在に至る。
tamada.jpg玉田 真 牧師
 私は母方の祖父と父が盲人牧師であったため、牧師としては3代目であり、祖父と父が関わっていた“日本盲人キリスト教伝道協議会(通称:盲伝)”の働きも積極的にしている。盲伝では現在“国際交流部”の部長・会計の任と長野県盲信徒会顧問の任に着かせていただいている。

牧師から

 “疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう(『マタイによる福音書11章28節』)”。
  ストレス時代と言われて久しい現在、救い主イエス・キリストが言われたこの御言葉の通り、私たちの大町教会がストレス社会を生き抜くすべての人の癒しの場所となればと願っています。そのためにも是非一度教会の礼拝に来て、聖書の御言葉に触れてみませんか?よく「世俗にまみれた私には教会に行く資格がない」、「教会は聖人君子の集まりだから私には無理」とおっしゃる方がいますが、それは大きな誤りです。教会の礼拝に出るのに何の条件もいりません。むしろ教会はそのような者にこそ開かれているのです。教会は聖書に“神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(『ヨハネによる福音書3章16節』)”と書かれているように、すべての人が分け隔てなく招かれているのです。さあ、イエス・キリストを通した神の招きに応えて私たちの大町教会に一歩足を踏み入れてみませんか。

クリスマスクリスマス教会正面

カリオンカリオンカリオン

北アルプスの春北アルプスの春北アルプスの春

聖なる朝(北アルプス)聖なる朝(北アルプス)聖なる朝(北アルプス)

洗礼式洗礼式

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